大人になったから気づいたこと
こんにちは!
株式会社OnLineの川原響希です。
私の母校は熊本県立済々黌高等学校(せいせいこうこうとうがっこう)
という学校なのですが、実は、今年創立140年を迎えました。
それだけの歴史があるとやはり伝統なども多いのですが、
多くの卒業生がいわゆる「愛黌心」を持っています。
ただ「愛校心」と書かずにわざわざ「校」を「黌」としたり、「青春」も「済春」と書いたり、
とにかくこだわりの強い高校です。
おそらく熊本県民の中にはこの自己主張を嫌う人もいると思います。
実際、「愛黌心」を3年間でしっかり刷り込まれたはずの私ですら、
時々ついていけないことがあります。
その中でも、永遠の謎がこれです。
一見、なんの変哲もない正門ですよね。
しかし実は、この「済々黌」というフォントにかなりこだわりがあるそうです。
(フォントとは文字の書体のことです)
私は授業中に国語の先生からこの話を聞いただけですが、
過去の高校の卒業生方が
「どのフォントが最も『済々黌』という文字がかっこよく見えるか」
でかなり揉めたらしいです。
もし今、この記事を読んでくださっている方の中に
この争いに関わった方がいたら申し訳ありません。
なぜ、こんなことで揉めたのか、(「こんなこと」と言うと失礼ですが)
当時も今もわかりません。
でも、今なら一つだけわかることがあります。
それは、その卒業生の方々が隅々まで学校を愛しているということです。
こだわりがあると言うと難癖をつけるという意味なので本来は悪い意味で使いますが、
これは愛ゆえのこだわりなので悪い側面ばかりではないかもしれません。
愛のあるこだわりで隅々まで目を向けられるようになるなら
個人的には仕事において持っておきたいものです。
私の高校では在学3年間でしっかり高校への愛を育まれるので
もはや執着に近いところはありますが、
このくらいの姿勢で仕事にも取り組みたいものです。
どんな仕事においても隅々までこだわることは他者への思いやりだと個人的には思います。
もしかしたら、表札の件も卒業しても学校に何かしてあげたい
という思いやりの末の行動かもしれません。
普段何気なくやっている仕事も改めて隅々まで意識してみると、愛のあるこだわりに気づいたり
ふと他者に思いを馳せる瞬間に気づくこともあるかもしれませんね。